「あれ、あの教室は確か……」
 塾からの帰り。通り道の横にある、自分の中学校の校舎を見上げた智行は、ちょっと首を傾げてそうつぶやいていた。
 
 それは、自分の教室の明かりがついていたから。もう、夜の十時過ぎ……いくら明日が文化祭だからといっても、誰かいるとは思えないんだけど。
 それでも少し興味をひかれて、智行は校舎内に入ってみた。鍵が壊れたまま放置されてる(このあたりが、のんきな校風というところかな)西校舎の裏口を通り、夜のしんと沈みかえった廊下を、月明かりを頼りに進んでいく。

(ううっ。誰もいない学校っていうのも、気味が悪いものだなあ……)
 体が、小刻みに震えているのは何も寒さばかりじゃない。かつん、かつんと響く自分の足音にちょっとびくびくしてしまうのが情けないような……

 三階に上がったところで明かりが見えるのに、智行はほっとした息をもらした。
 (やっぱり明かりがついてるのは、うちのクラスだ……誰か、残ってるのかな?)
 一-Aとかかれた教室の前……そっと開けたつもりだったのに、立て付けの悪い扉は予想以上の音を立ててしまう。

 ガラガラ……きゃっ!……パリ~ン!
 開けた瞬間、女の子の軽い悲鳴、そして何かの割れる乾いた音が教室内に響いた。

「……なんだ、佐野くんかあ……もう、びっくりしちゃったっ」
 セーラー服に白いエプロン姿の女の子が、ポニーテールの髪をぴょんと振りながら、こっちに顔を向けた。くりくりした可愛らしい瞳をまん丸く見開いた、びっくりした表情を浮かべて。

「岡島さんかあ、ったく、びっくりしたのはこっちだよ。こんな夜中にどうしたの?」
 そんな智行の言葉に、彼女……岡島祐香は、少し胸をなで下ろしながら答える。
「うん、明日、文化祭でしょ。でも、まだ準備が全部できてないの。みんなが持ってきた皿とかも洗っておかないといけないし、まだ下ごしらえできてないものも……」
(そっかあ。明日のクラスの出し物って、確か喫茶店だったっけ。)
 男子の方は、教室の飾り付けってことでさっさと終わらせてしまったけど、女子の方は大変みたいだな……

「夜までやってたんだけど、みんな塾とか忙しいって、帰らなくちゃいけない人も多くて。終わらないうちに、閉校の時間だって追い出されちゃったの。明日の朝に、集まってってことだったんだけど、それじゃ、心配で……」
「それで、夜中に忍び込んで準備してたっていうの?」
「うん。そしたら、いきなりがらがらって音がするものだから、びっくりしちゃって……でも、佐野君こそどうしたの」
「だって、学校の横を通ったら、うちのクラスだけ明かりがついてるだろ。それで、どうしたんだろうって感じかな……」
「でも、先生じゃなくてよかった。叱られちゃうって思って……そうだ、割れた皿を片づけないと」

 祐香は、散らばった破片を拾おうとしゃがみ込んだ。
「危ないって、素手じゃ……怪我しちゃうよ!」
 そんな忠告の言葉も時すでに遅し。大きな破片だけでも、と拾っていた祐香だったけど……
「痛っ!」
 と、軽い悲鳴をあげて、手を引っ込める。
「ほらっ!  だから言ったのに……ドジなところは変わってないな」
「ふんっ。別にこんなの、なんてことないもん」
 と強がりながら、祐香はちょっと切った右手の人差し指をぺろぺろと舐めてる。

 すっと整った横顔、ゆらゆらと揺れるポニーテール……彼女のあどけない、でも少し色っぽさも混じった仕草に、智行は思わずどきどきしてしまった。
「さっ、これで血を止めて!……まったく、昔からこうだからなあ。手伝ってやるから、さっさと終わらせて帰ろうぜ!」
 そんな自分の胸の内を隠すようにわざとぞんざいな言葉をかけながら、智行は自分のハンカチを祐香に投げてよこした。
「うん、ありがと……」