「福島三歳新馬戦も大詰め、残り二百メートル。先頭を行きますのは、五番、ダイヤモンドアロー。二番手、サザンウィンドとの差をもう五、いや六馬身差と広げていきます。これは強い……」

 歓声にまじってかすかに聞こえる場内アナウンスの声。確かに相手は強敵だが、まだ勝負は決まっちゃいない!
「いくぞ、サザンウィンド!」
 気合いの声を上げ、強く鞭を入れようとした瞬間、僕の脳裏に一人の少女の姿、声が不意に浮かぶ。

(お兄ちゃん。馬はね、乗ってる人の心がわかるの。だから、騎手も馬の気持ちがわからないとだめなんだよ……馬と騎手の心が一つになってはじめて、最高の走りができるんだから)

「風子……そうか、そうだよな」
 俺は一人で戦ってるつもりだった。でも、それは違う……
「サザンウィンド、お前も負けたくないだろ! 俺とお前と二人、いや風子と三人で、この勝負、なにがなんでも勝ってみせるんだ!」
 俺の言葉に、サザンウィンドも体を奮わせて答えてくれる。大丈夫、こいつも気持ちは俺と同じ、風子のために走ってるんだ……
 俺は、もう必要無くなった右手の鞭を投げ捨てていた。

* * *

「あーあ、かったるいよなあ……」
 俺は背伸びをしてこわばった体をほぐす。それもそのはず、しゃがんだ無理な格好のまま、一時間も馬の手入れをさせられていたのだから。
「全く、ちょっとさぼったぐらいでこんな罰掃除をさせやがって……」
 ぶつぶつ悪態をついてはみるものの、自分のせいだから仕方がない。全部終わらないと夕飯も食べさせてもらえないのだから、さっさと終わらせようとまた仕事に戻ろうとしたその時……

「あれ、あの子は……?」
 厩舎の入り口の、一人の女の子に目が止まった。夕日にはえる白いワンピース、そよ風におかっぱの髪がさらさら揺れる少女の可憐な姿に、思わず見入ってしまった自分に気づいて、あわてて目をそらす。
(でも、なんで女の子が、競馬学校にいるんだ? 近くの子なのかな……)
 そう不思議に思っていると、その少女はタッタッと近づいてきて、
「おにいちゃん、なにしてるの?」
 と首をちょっとかしげて問いかけてくる。俺は、内心気まずい思いを隠しながら答えた。
「えっ、ああ、ここは競馬学校だから、俺も騎手になるためのお勉強」
「嘘ばっかり~、罰で掃除されられてるんでしょ?」
 
(うっ、するどいなあ……やっぱりここに詳しいのかな)
 ちょっと含み笑いの少女に苦笑しながら、俺は自己紹介した。
「俺は、見ての通りこの競馬学校の生徒で、沢崎望っていうんだ」
「わたしは、南風子」
「ふーん、風子ちゃんか。近くにすんでるの?」
 僕の言葉に、風子はかわいらしくコクリとうなづく。
「ほらほら、そんなことより、早く仕事終わらせないとご飯抜きになっちゃうよ、おにいちゃん」
 
 それもそうだ。口を動かしながらも手も動かさなきゃ……。横の馬に向き直って体を洗いはじめた。そんな俺の隣で、彼女も作業を手伝ってくれる。
「へ~、風子ちゃん、手慣れてるんだね」
「うん、家にもいっぱいいるからね、お馬さん」
 そんなことを話しながら、二人でてきぱきと仕事をこなしていった。
 
「あ~、終わった、終わった。いや、風子ちゃんが手伝ってくれたおかげで、思ったよりずいぶん早かったよ。でも、付き合わせちゃって悪かったね」
 体をコキコキほぐしながら、風子に向かって笑いかける。
「ううん、別にいいよ。でも、そうだ……もしよかったら、今度の休みに付き合ってくれるとうれしいな。どこか遊びにいくとか、ね?」
「そんなことなら、おやすいごようさ」
「じゃ、約束だからねっ!」
 風子はそういうと、外に駆け出していった。