「えっと、まゆちゃん…、だよね?」
後ろから声がした。
男の…、声。
「えっ…」
私は、腕を拘束されている恐怖からか、その男の子の何でもない一声にどきっと
して振り返ると思わず後ずさってしまう。
分からないけどとりあえず逃げてしまおうかとさえ思う。
「何で私の名前を?」
「ふふっ、そりゃ僕が君の推薦人だからね。で、やっとこさ見つけて声をかける
ことができたってわけさ…」
にやっと笑う。
私に恐怖さえ与える、なにかのひそんだ笑いだった。
話の意味もいまいち分からない。
…?
私と同じ、新入生ということなんだろうか…
気のよさそうな男の子。
まるでクラスの人気者にでもなって、暴れそうなタイプの奴。
それは体つきと、口から出てくる言葉のあざやかさでよく分かった。
がっしりした身体。
一時期あこがれたこともあったけど、今は恐い。
敵だから?
「どうかな、僕なんかで良ければパートナーになってくれると嬉しいんだけど」
その言葉に私は心臓を貫かれる思いだった。
答えは決まってる。
「いやです…」
私は後ずさって、その男を背景に近づける。
いや…
この男が嫌なわけではない。
この場所でさえなければ嫌ではないだろうし、いや、私の好みの男の子に近いか
もしれないぐらいだけど…
美しい景色。
山に囲まれた清々しさ、さえ、なにか不思議に私を閉じ込めている恐いものにさ
え変わっていくのを感じた。
「じゃぁ、僕に捕まる前に他の男の子を…、見つけれるかな?」
一歩、男が近づいてくる。
運の悪いことに、周りには助けを求めれそうな人は誰もいないようだった…
遙か後方に見える寮。
「なんでそんなこと」
私が言うが早いか、その男は私の肩をぐっとつかんだ。
「いやって…」
その腕を肩をふって振り払った。
え…?
その男は事もあろうか、私にぐっと迫ってまるで無理矢理にでも私をどうにかし
ようとしている…
「きゃぁっ…、やめてぇっ」
私はととっと後ろに下がると、後ろに向かって走り出した。
後ろから男も追ってくる…
死ぬほど恐い。
捕まったらどうなってしまうか…、この学校に簡単に腕を拘束されてしまった。
そんな学校で、長いこと、三年も暮らせないっ。
「ふぇえっ」
後ろから不意に腰をがばっと捕まえられた。
「ほらっ、暴れるなって、俺はそんなにやな奴じゃないよ。ここでは僕が絶対
的な権利を持ってるけど、君に好きになってもらえるようにがんばるから」
後ろから聞こえてくる声に怯える私。
「あこがれのまゆちゃんは、僕のもの、か…」
ちょっと…
私の目に一瞬入ったそいつの顔が、私を刹那だけ落ち着かせた。
肩を振っていやいやをする私の抵抗などほとんど役に立たないまま、ぐっと体を
抱きかかえられてしまう。
その男に足と背中を持ち上げられる形でふわっと私の体が浮いた…
…いっ
「いやぁぁっ、なにするのぉっ、下ろしてよぉっ」
泣けない自分が悔しい。
もっと、私が涙もろければ泣いてるのに…
「だめだよ」
その男の子が否定する。私はその…
あまりにあたりまえのような、そんな言葉に驚かされる。
いくらなんでも男が女の子に触るだけならまだしもこんなことが許されるはず…
なかったのに。
「あなた誰よぉっ」
「中村、和志、まぁ名前なんて忘れてもいいよ。ここではご主人様だからな」
訳の分からないことをいうその男の子。
全身の力を込めて縛られた両腕をなんとかふりほどこうとするが、しっかりとく
くりつけている器具はびくともしない。
かえって私の腕が痛いだけだった。
「ううっ…、分かんないよぉ、全然分かんない」
「ははっ、教えて上げるさ」
頭が痛い。
自分が狂ってしまえばいいなんて思うくらい、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
そのまま、私は寮まで連れていかれたらしい。
いくつも舎が並んでいる。
いわゆるごく普通の、寮といった感じのところで、外から見ると、学校と同じく
何も変わったところはないけど。
コンクリートで…
多分中は、それなりの広さなんだろう。
思っていたのとは違い、この学校ではどうやら男女部屋なくらいは理解した。
でも…
その見知らぬ男の子に抱きかかえられたまま、寮の敷地の近くにあった小さな事
務所のような所に歩いていくと、また恐怖がよみがえった。
何人か並んでいるようだった…
「ちぇっ、みんな早いなぁ、ほらっ、今度からちゃんと俺達も早くしないと部屋
なりなんなりいいとこ取られちゃうからなぁ…」
いつのまにかなれなれしく呼ばれる私。
ざわざわとした並んだ人たちは皆、男女のペアで並んでいた。
ちょっと嬉しそうな顔。今にも逃げ出しそうなのをむりやりに男に引き留められ
ているのまでいるようだった。
「ひ…」
 ドカッ
大きな音が聞こえた。
私は、思い切り殴られた女の子を目にして、ぐっと目をつむる。
可哀想に…
女の子が、身体を拘束されたまま、殴られる。
腕が自由にならないまま、虐められているようだった。
かわいそう…
思いだけが先行する。
なんでもなければ助けたかも知れない私も、恐怖が先行して、助けようと思えな
い。次は、自分かも知れないから…
男が私を下ろす。
逃げようかと一瞬思ったが…、足が動かなかった。
「はい次…」
「ひぁあっ、許してください、お願いです。お願いですから他にもっとかわいい
女の子みつけてください…、だからお願い…」
さっき殴られていた女の子の番になったようだった…
女の子の側の悲痛な叫び声が聞こえてくる。
「なんで…」
「安心しろ、俺はあんなに酷くしないよ」
いつの間にか、私は私をここまで連れてきた見知らぬ男の子に体を寄せる。
少なくとも…
今、この瞬間、この男の子は私の敵ではないように見えた。
一瞬前とは違う。
”あこがれのまゆちゃんは僕のもの…”
そんな言葉が私の頭の中でこだましてちょっとどきっとした。
私のこと好きなんだ…
改めてそんなことを思うと、こんな状況なのにも関わらず心臓の鼓動が早まる。
とくっ、とくっ…
ぐっ…、変な想像に自分の思考を振り払う。
恐い…
まるでジャングルの中に裸で放り出された…
いや、それ以上に恐かった。猛獣なら殺されるだけですむ。
けだもの、なら…
「次…、はい、どうぞ」
そうしている内にいつの間にか私達の番だった。
一体ここで何をするんだろう…
それは今までのいきさつでなんとなくわかった、きっとパートナーの登録と寮の
部屋割りが決まるのだろう。
男の子が、真ん中辺りの部屋をマークしている。
「口印をどうぞ…」
事務の女の人が、そう言うと、目の前に朱肉のようなものを取り出した。
「え…」
「ほら、印を押すから…」
そんなこと言われても、私の腕は拘束されていて親指を差し出すことがで…
えっ…
突然、私の口にその朱肉を押しつける…
「んぐっ…」
赤いインクの染みついたスポンジのようなものを私の唇にぐっと押しつける。
「な…何を…」
「ほら、口ちゃんと閉じないと綺麗にとれないぞ…」
今度は紙…
を私の唇近づけてきた。
「あっ」
わかった。
私の唇のキスマークを印鑑代わりに使おうって…、そんな…
その紙を私の唇にぐっと押しつけると、ぱっとはがして、その私の唇の印を取る
とそれを提出する。
「ほらっ、ティッシュでふいとけよ?」
私にちり紙をくわえさせると、私の拘束された腕をつかんで歩き出す。
あまりのインクのまずさにそれを吐き出してしまう…
「そっか…」
私の腕を見て、こいつが私の唇にティッシュを押し当てて、ぐりぐりとインクを
ふき取っていった。
「んっ…いいよ、やめてっ、こんなの冗談じゃ…」
「ないよ?」
私はその男の子の目つきに、信じられない未来を予感してしまった…
どうして…
明るい目をして私を見ることができるの?
一瞬、こいつが私の運命の人…いや、気の迷いに違いない。